限界ドビュッシー。
知り合いのミュージシャンが「雨音に合わせてリズムを刻んでいたら、メタルみたいになってきたので終了」と書いているのを見かけました。台風が近付いて来ています。
しかし、この、森羅万象に身を委ねて、自然界にあるものと自分の演奏を合わせていったり創作したりという、そういう感覚、久しく忘れていました。僕にとっては音楽に最も大事な要素であるのに…。
そもそも僕は「なにも考えずに楽しかったらそれでいい、踊れたらそれでいい」といった音楽がとても苦手で、でもドラマーである宿命といえばいいのか、そういう音楽に対して、自分に需要があったため、長い時間を掛けて好きになりました。
例えば、テクノは単なる四つ打ちでは無く、実に創造性溢れる音楽であったりするのだけど、そういうエッセンスを噛み砕いて、気持ちの落とし処を作っていく、というか…。
溺れたエビで四つ打ちを叩くようになって、決定的に、踊らせるドラムが好きになった訳ですが。
……過半数の人には、何を書いているかさっぱり分からないでしょうけども、打楽器奏者の中で共感してくれる人は、いるのではないでしょうか。
とにかく、昨夜、雨音に寝れなくなったので、ドビュッシーの『月の光』を聞きながら"冷蔵庫にオリーブとクリームチーズがあったから、ワインでも開けちゃおうかなー!"など思いながら動画を見ていたら、演奏されていたハープからアイリッシュハープ→ギネスビールと想像し、"スタウトビール飲みたい"と思ったものの、"こんな時間から飲んでしまったら翌日、一日中しんどいな"と、冷静になれたくらいで1曲終了。
ロジカルに、冷静に、練習して、本番をこなすことも大事なんだけど、好きなことを好きなように没頭する、イメージを拡げるような、(簡単に言うと側頭葉を使った)そういう活動もとても大事ですね。
話は転じまして。
最近は"PTSDに対して何が出来るか"と考えてるのですが、音楽が出来ることって雀の涙でしかないかもしれないんですよね。医者やカウンセラーみたく療養出来ない。
僕自身が"仕事のストレスは仕事で発散するしかない"という考えで頑張ってたら、かなりしんどくなってたので、余計に強く思います。
国の行く先を憂慮しても、楽器で出来ることなんて何もない。ほんとに。
結論として、繋がりが見えにくい文章かもしれませんが。
一般的な努力を越えたレベルで研鑽しないと、他人を満足させられる演奏は出来ないと思うので、そこに至る以前の段階でよく分からない精神論を振りかざされることが、僕はとても苦手なのですが、それでもやはり音楽は人生の一部であり、全ての"見たもの聞いたもの感じたこと"が自分の血肉となるものです。
そして、政治家や医者ほどには、直接的に人を動かす事は出来ませんが、この業種にしか出来ないことがありますから、破れ鍋に綴じ蓋ではありませんけれども、少しでも回りにいる人達、引いては世の中の人達への、生きる力となればいいなと、そう思いました。ドビュッシー聞きながら。ワインを睨んで。結局飲んでませんけど。
さて、時刻は朝6時半。もうすっかり眼も覚めちゃったので、友人から届いた手紙への返事でも書こうかと思います。
いいよね、手紙って。