まけまけいっぱいの愛を

力の限りに、“無意味・無作為に一生懸命な様子”を書き綴っていきます。 好きな言葉は、「どんぶり勘定、くんずほぐれつ、十把ひとからげ」です。

大脳の全てを使う方法。

生家の夢を見た。

僕は13歳の頃に一度、引っ越しをしているのだけど、夢に出てくるのは必ず生家の方。詳細を書いていったら、その描写だけで少なくない文字数になるので、ここでは割愛する。

驚くことには、すっかり忘れていた家具の配置や、匂いや手触り、幼い頃の記憶が、急に蘇ってきた。たとえば、階段を上り下りするのも心許ない頃、電気が消えていて、恐ろしく感じられる暗い空間を、手摺の支柱を頼りに、蹴上を踏みしめていたこと。

小学校低学年くらいまでは、21時には寝床につかされていたのだが、眠りが浅く、23時頃に起きてしまうことがあった。その時に、両親が2階の寝室にまだ上がってきていない時もあって、そんな時、僕は居たたまれないほどの寂しさに襲われて、一歩ずつ階段を降りていったのだった。

階段をちょうど下りきった左手には、祖父母の居住部屋があり、テレビの灯りだけが障子に青く映っていた。僕は祖父母に、寝れない、と言い、一緒の布団に潜り込ませてもらったりしていた。

思い起こすと凄く淋しがりで甘えん坊なこどものようだが、その当時に住んでいた家は、なんとなく、物の怪の類いが潜んでいてもおかしくないような、そんな趣があったのだ。増築を繰り返した家は、その時代、その時代の、要不用を問わない、ありとあらゆる雑多なものがそこここに在り、部屋と部屋との接続が、妙に入り組んでいたりもした。

そんな家で、幼少期を過ごし、周りの友人達が、塾や習い事や、少年スポーツチームに時間を費やしていた頃、僕は暮れ行く田んぼや空をひたすら眺めていたり、ブロック塀によじ登ってずっと、とりとめない考え事をしていたり(そして時々塀から落ちたり)して日々を過ごしていた。

勿論、テレビを見たりゲームをしたり、時々、勉強などもしていたのだが、あの頃は、田や土や山や風に触れることの方が大事だと思っていたし、大人になってからの財産になるような、そんなことを思っていた。

小さな頃に肌感覚で得た情報は今でも尚、凄まじい明度と彩度をもって僕に迫る。

以前、認知症のことを色々調べていたときに、過去の記憶を想い起こすことは、脳全体を刺激する、とそんなことを読んだことがある。

夜行バスの中で夢を見て、忘れていたあらゆることが、細部に渡って思い起こされたことで、頭が冴えまくってしまって寝れなくなったのには参った。

今日はそんな感じ。