まけまけいっぱいの愛を

力の限りに、“無意味・無作為に一生懸命な様子”を書き綴っていきます。 好きな言葉は、「どんぶり勘定、くんずほぐれつ、十把ひとからげ」です。

12日から14日にかけて行き当たったいくつかのこと。

2月12日。
湿気を含んだ温暖な空気の中に春の気配を感じながら帰宅した。お気に入りの店に寄り道して、「ストーンコーヒーミルクスタウト」というビールを流し込む。そして、てくてくてくてく。歩くのには丁度良い。

2月13日。
風が強いと考えて、普段の冬用の格好をして池袋へ出掛けた。目的地までに何千人と擦れ違ったか分からないが目を皿にして過ぎ行く人を観察していたつもりでも、恐らく僕よりも厚着をしていた者はあるまい。ロシアかカナダか北欧か、とにかく寒いところから来たんじゃないかと思われるような、薄い金色の髪と髭とを蓄えた白人男性ですら僕よりもなお薄い格好をしていた。

いや、それはそうか。寒いところから来たのであれば寒さに慣れているのは当然のことだから薄着で当たり前。初春の日本を彼はどう思うのだろう。住み慣れた山岳や森の中では味わえない温度と湿度の絶妙なる推移に戸惑っているに違いない。彼がどこ出身であるかも分からないが。島根生まれ広島育ちなのかも分からないが。

ところで、「当然」と「当たり前」って同義語なのになぜ漢字が違うのだろう。時と場合によってニュアンスに微妙な差異がある気がする。

世界中の国籍の人を車座に座らせて伝言ゲームしたら最後はどうなるんだろうか。起承転結4つの構成のそれぞれが、5文節で一文となるような纏まりをを一つの単位として3章の骨組みとする。つまり、落とし穴が120個あるような多国籍伝言ゲーム。多国籍リレーでもいいし、泥のように酔っ払った連中を集めても面白いかもしれないな。

2月14日。
強風に傘を萎ませて、頭部は守れているのに身体が雨に濡れているお婆さんと擦れ違う。唐笠小僧みたいだ。とても久しぶりに羽虫が部屋に迷い込む。梅や早咲きの桜はもう花を咲かせている。人はある日いきなり違う環境に放り込まれてすぐに順応できるものではない。中学一年生の途中まで小学生7年生みたいなものだし、高校1年生の途中まで中学4年生みたいなものだし、大学も、社会人も、そう。考えると草木や虫は単純な生き物に見えるけど、至極システマチックに出来ているのだなあと感嘆しませんか。人間はひどく脆弱な生物だと思う。草木に見習うべき点は案外こういうところなのかも知れない。