まけまけいっぱいの愛を

力の限りに、“無意味・無作為に一生懸命な様子”を書き綴っていきます。 好きな言葉は、「どんぶり勘定、くんずほぐれつ、十把ひとからげ」です。

3.11を前にして 1

東日本大震災から今年で5年。
僕は東京に来て1年になる。

震災の起こる前に僕は大阪に住んでいて、その時から「近々、上京する」とは周りに宣言していて、震災後にも僕の上京する意思は変わらなかった。大阪の知人に「なぜ、震災が起こった後でさえも東日本へ行こうとするのか」と聞かれたことがある。

その時点では僕の中で明確な言葉にはなっていなかったから、曖昧な返答で茶を濁したのだけど、今ならこう言える気がする。「だからこそ東日本へ来たのだ」と。

僕が徳島に住んでいた頃に、阪神大震災が起きた。幼かった僕は「今は非力で何も出来ないけれど、大人になったら困っている人のために尽力しよう」と誓った。時が経ち、東日本大震災が起きた。僕は大阪に住んでいた。大人になっていた。けど、何も出来なかった。

それは、当時の僕の仕事やバンドの都合もあったし、「緊急時には素人は下手に動かずプロに任せないと逆に迷惑になる」という風説に従ったからでもある。

今になって思えば、僕はその時、"本当に動けなかったのか"。自分を安全な場所へ置くような保身の理論を身の周りに固めていただけではないのか。

現地へ直接行くことだけが支援ではない。しかし「知ることが大事」だという言葉の上にあぐらをかくだけでもいけない。ミュージシャンを集めてイベントを起こして、全ての出演者のギャランティを0にする代わりに収益を全て義援金として寄付する、という動きをしていた人もいた。

僕はそのイベントに出演したから、ある意味では、支援の一部に加担したと言えなくも無い。だけど、もっと自発的に自分の手や意思でもって"何か"をやらなければならないのではないか。そんな想いがここ数年、特にこの一年で強くなってきた。

〜つづきます〜