まけまけいっぱいの愛を

力の限りに、“無意味・無作為に一生懸命な様子”を書き綴っていきます。 好きな言葉は、「どんぶり勘定、くんずほぐれつ、十把ひとからげ」です。

3.11を前にして 2

〜つづき〜

震災の時に痛感したことがある。
それは、災害時におけるミュージシャンの非力さ。

緊急時に必要になってくる力。自衛隊などの直接的に救助できる人材、医師、そして建築家、土木業…。そういったところが即戦力となる。また少し落ち着いてからはお笑い芸人の方の慰問というのも話題になった。「久しぶりに笑った」という声も多くあったように思う。

しかし誰か被災地の方で、歌や演奏を必要とした人がいただろうか。あるいは僕が知らなかっただけでいたのかもしれない。もしそうならミュージシャンの存在意義もあるだろう。

僕個人の気持ちでいうと、当時は本当に無力感でいっぱいだった。前回の投稿でも書いたが、ミュージシャンを集めて、そのギャランティを0にすることによって義援金被災地へ送るというイベントを起こした人がいた。

しかし僕は何も出来なかったし誰の心も癒せなかった。5年経った今、何かをしなくてはならないという漠然とした想いがある。漠然としててはいけないのだけど。

自分に何が出来るのか、音楽を通じて何が出来るか、音楽で何も出来ない場合はどうすべきか。そんなことを思っている。


今年読んだ本の中で僕が最も良いと思ったのは、いとうせいこうさんの「想像ラジオ」なのだが、想像ラジオを読んだら、自分にも関われる方法があるんじゃないかと思えた。それぞれ全ての人の中にあるはずのラジオ。僕の周波数はまだはっきりとした音を傍受出来てないけど、近々、受発信できれば良いと思っている。

もし、いとうせいこうさんにお会いすることがあったら絶対に本の話をしようと心に決めている。

3.11を前にして書きたいこと、言いたいことが沢山あったのにうまく言葉に出来ない。言葉として纏まってきたら発言していきたい。そして願わくば音を通じて行動、表現することが出来ればいいと思っている。