まけまけいっぱいの愛を

力の限りに、“無意味・無作為に一生懸命な様子”を書き綴っていきます。 好きな言葉は、「どんぶり勘定、くんずほぐれつ、十把ひとからげ」です。

後ろの正面だあれだ。

意味の無い会話はコミュニケーションの潤滑油だという話を聞いたことがある。

というのはどういうことかというと

「こんにちは。どちらまで」
「ええ、ちょっとそこまで」

といったものであり、これは、本当にどこへ行くかの問いではなく、また質問された側も正しく答えてはいない。知り合いと行き違った時に起こるある種の"気まずさ"を解消する方便に他ならない。無意味と思える会話がコミュニケーションをはかる方法なのだ。

僕は昔、「暑いね(あるいは寒いね)」から始まる会話が嫌いだった。温度を認識することが何の意味も為さないことが分かっていたからだ。用件もないのに言葉を発する意味は無い。そう考えていた。しかしある時に上記の文章を読んで、成る程、と膝を打ったのだ。


それを踏まえた上でも、先日、思わず当惑してしまう会話を耳にした。



「お願いしますね。大変だと思いますけど」

「お元気ですね」

「ええ」

「寒いですねえ」


意味が分からない。


"お願いします"と明らかな嘆願の意図がみえるにも関わらず、応えは「お元気ですね」。
一旦「ええ」と受けたのに、そこへ登場するのが「寒いですねぇ」だ。

出た。
温度の確認。

二人はそのまま行き違ったのだが、それ以来この不可解な事件について僕は朝な夕な、考えを巡らせていた。

未だに答えは出ないし、あるいは、答えを出すものでも無いんだろうとも思う。

いっそのこと、形骸化された挨拶なんて、オノマトペで済ませればいい。

「ハタミャリ?」
「テテロッペルリ」
「ラミー」
「トンヌルポメッ!!!!」


みたいな具合だ。


「えっ。ちょっと待って」
など野暮天。