まけまけいっぱいの愛を

力の限りに、“無意味・無作為に一生懸命な様子”を書き綴っていきます。 好きな言葉は、「どんぶり勘定、くんずほぐれつ、十把ひとからげ」です。

国家と政治と思想について。

なんか、タイトルがすんごい重々しく堅苦しい感じになってる…(^^;
無知なもんで、あんま肩肘はって読まないで貰いたいです…(^^;

近所に日本語学校があるのか分からないけど、多国籍な人を本当によく見かけます。それと、あるニュースを見たことで、色々と考えてしまいました。

渋谷区で選挙に行こうとしていたトルコ人とクルド人とが60名で乱闘を起こしたというニュースです。争いの起点は、クルドで禁止されている旗をトルコ人が、かざしたから、というのと、その旗を無理に奪われようとしたから、ということらしいです。

歴史的な深い問題があるのでしょうけど、僕がまず引っ掛かったのは、「旗」という、それだけだと単なるアイコンのみによって、人々に怒りと憎しみの連鎖が起こったということ。

その旗だけだと、誰かを攻撃したわけでも傷付けた訳でもない。ヘイトスピーチが書かれてた訳でもない。ただ、幼少の頃から叩き込まれた民族思想や宗教的な物の見方というのが、単に言葉で誰かを非難するよりも、遥かに大きな意味合いを持って、"価値観を攻撃する"のでしょう。

なんとなく、歴史や政治の知識が豊富に無いと発言しちゃいけないみたいな風潮がありますが(少なくとも僕はそんな風に感じてましたが)、そうじゃなくて、もっと単純に捉えて、人と人とが平穏に暮らせる道を探れないかな、っていうのを最近思い始めています。

相手を論破することのために知識をつけるんじゃなくて、単に理解を深めるために、色々なことを学びたいです。政治家の人とかに多く見られるように、相手を論破することに血眼になって、自分の主張を曲げたり拡げたりしようとしないと、結局どこまでいっても平行線で、根本的な解決に至らないよな、と。

それは、政治の世界だけじゃなくて、自分の半径3メートルの世界でも同じかと思います。

それと、別に何かのデータを基に言ってる訳ではないですが、これから日本はどんどん右肩上がりに、移民が増えると思います。

アジア圏の方々だけでなく、世界中に点在する、ありとあらゆる、民族思想、物の見方、価値観、宗教観、そういったものを受け入れるために、日頃から、異なる価値観を受け入れる訓練を欠かしたくないです。

少なくとも、関西人と関東人が云々、みたいな土台で話をする時点では、まだまだ未成熟なのかなと。

勿論、大多数の人が「秘密のケンミンショー」みたいなざっくばらんな話のタネとして話してるのは理解してるのですけど、ごく一部に、本気で、地域間の対立構造の思想を持っている方もいますから。直接会ったことが無い人でも、それは。

色んな国や地域の友達を作るだけでも、かなり変わるような気がするのだけど、それは甘っちょろ過ぎるのかなあ。

ちょっととっ散らかってますが、今日はそんなことを思いました。