まけまけいっぱいの愛を

力の限りに、“無意味・無作為に一生懸命な様子”を書き綴っていきます。 好きな言葉は、「どんぶり勘定、くんずほぐれつ、十把ひとからげ」です。

子育て、子育てられ。

『教職員の離職率20代と50代で高い』

教職員で病気になった(なっている)人は何人も知っているし、友人が職場環境を語っているのを聞いたら凄惨たるものでした。

教員って今の時代、一番大変な職種だと思います。高校時代の後輩が書いてるブログがあるので良かったら読んでみてください。

『新米小学校理科専科の奮闘記』

お子さんをお持ちの方は、学校の先生に対して、教員だって人間なんですから、あくまで人間として、より良い関係を築いていくように努力してください。(そうやって思える人はそもそもモンスターペアレンツにはならないんでしょうけどね…)

そういえば東京新聞に掲載された、バイオリニスト高嶋ちさ子さんのコラムに非難が殺到しているとのことですね。

内容としては、決まった時間にしか遊んではいけないという約束を守らなかった息子に腹を立て、長男と次男のゲーム機(ニンテンドー3DS)を真っ二つに折り、2人の息子に「あなたはゲームが一生できないことを嘆くより、ママからもう二度と信用されないということを心配しなさい!」「もうあなたを信用しないから、どうやって信用を取り戻すかを考えなさい!」と怒った、というもの。

これに対して「DVだ」とか「人として最低」的な批判が相継いでるらしいんですけど、僕は批判する人が多いことに驚きました。

よい子育て方法だとは思わないし、やり過ぎだとも思うけど、DVでは無いだろうし、批判してる人等はもっと甘やかされて育ったからこそ「信じられない!」って否定するんでしょう。それに驚きです。

ゆとり世代が云々という『世代論』はとにかく嫌いだし土俵に持ち出す気は更々無いんだけど単純に、現代の小学生の育てられ方、言い換えると今、親の代になっている『ゆとり世代』の子育てが、リアルにどんな感じで行われてるのか非常に気になりました。

子供を持つ、って楽しそうだけど大変そうだなあ。

風呂小路にて。

アメリカよりもアメリカな街。西心斎橋

その西心斎橋において、京都よりも京都な場所。

それが風呂小路。本当かどうかは貴方の眼で確かめてください…。

御堂筋とアメリカ村を接続する小さな小路を抜けると、左手に清水湯という銭湯が出てくる。昼から入ると、硝子天井から射し込む光がとても気持ちいい。朝の6時から夜の0時までやっている豪傑な風呂で、何度もお世話になった。

この銭湯に至るまでの小路に、コインランドリーが併設してあり、長方形の秋空と洗剤の香り、穏やかな風に包まれて、洗濯物が終わるのを待っている。

清水湯の銭湯内にあるサウナには、赤茶けた陶磁器の壺がある。心斎橋界隈で拾って身体にこびりついてしまった、愚痴や歯痒さや理不尽さを大声で吐き出すための壺。その壺は毎夜、数多の、汗、涙、汚れ、よんどころない事情や、語り得なかった物語、そのひとつひとつを受け入れ、響かせ、確かめ、甕の底に折り畳まれ、蓄積されていっている。

それが清水湯。本当かどうかは貴方の眼で確かめてください。

3.11を過ぎて。

こないだ、災害時におけるミュージシャンという職能の弱さ、みたいなことを書いたけれど、違う視点からも意見を述べておきたい。
 
ここから話が少し迂回する。
僕個人の話になるけれど、去年末まで主に参加していた一つのバンドがあって、その活動に肉体面、精神面、金銭面の全てを注ぎ込んでいた。

そのバンドの前、更にはもうひとつ前、もう二つ前、と、いつ頃からか僕は己の全てを"バンド"というものに注ぎ込むような生活になっていてそれはそれで迷いなく活動していたのだけど、見たいものや行きたい場所も我慢していた一面もあるし生活が逼迫していた時期もよくあった。

今、体力面、精神面に余裕がある状態で音楽や舞台や映画を鑑賞すると昔よりももっと"染みる"というか、心のどこにも引っ掛かることなく胸に染み渡っていく感覚になる。

他人が読んだら全く何を言いたいのか分からない気もするが、結局のところ何が言いたいかというと、あくまで音楽やその他色々な表現というものは、生活に余裕がある人に対してのものではあるかもしれないけれど、それでも人の心を励まし、癒し、鼓舞し、寄り添い、そして浄化していくものであるということ。

5年を過ぎた今になって思うことは、音楽や表現というものは世界を救う一助になり得る…というかやっぱりそこを目指していかないと嘘だろうという気がしている。

音楽は人の命を救ったり病気を治したりは出来ない。未曾有の災害時においては癒すということもままならないかもしれない。でもそれは単にミュージシャンの力量不足なのかもしれない。そうだとするなら、力のある人間になりたい。

何はともあれ、震災は多くの人の生活を大きく変えた。多くのミュージシャンの生き方や考え方、価値観もまた、変えた。命を救うことの出来ぬ音楽を、音が商売になりづらい時世でなお、奏でようとする意義とは。

昨日見に行ったライブで、音によって身の内から浄化されるような体験をしてしまったものだから、音というもの、音楽というものの力強さをひしひしと感じている。まだまだ答えは出ないけど光は見えるような、そんな気がしている。

3.11を前にして 2

〜つづき〜

震災の時に痛感したことがある。
それは、災害時におけるミュージシャンの非力さ。

緊急時に必要になってくる力。自衛隊などの直接的に救助できる人材、医師、そして建築家、土木業…。そういったところが即戦力となる。また少し落ち着いてからはお笑い芸人の方の慰問というのも話題になった。「久しぶりに笑った」という声も多くあったように思う。

しかし誰か被災地の方で、歌や演奏を必要とした人がいただろうか。あるいは僕が知らなかっただけでいたのかもしれない。もしそうならミュージシャンの存在意義もあるだろう。

僕個人の気持ちでいうと、当時は本当に無力感でいっぱいだった。前回の投稿でも書いたが、ミュージシャンを集めて、そのギャランティを0にすることによって義援金被災地へ送るというイベントを起こした人がいた。

しかし僕は何も出来なかったし誰の心も癒せなかった。5年経った今、何かをしなくてはならないという漠然とした想いがある。漠然としててはいけないのだけど。

自分に何が出来るのか、音楽を通じて何が出来るか、音楽で何も出来ない場合はどうすべきか。そんなことを思っている。


今年読んだ本の中で僕が最も良いと思ったのは、いとうせいこうさんの「想像ラジオ」なのだが、想像ラジオを読んだら、自分にも関われる方法があるんじゃないかと思えた。それぞれ全ての人の中にあるはずのラジオ。僕の周波数はまだはっきりとした音を傍受出来てないけど、近々、受発信できれば良いと思っている。

もし、いとうせいこうさんにお会いすることがあったら絶対に本の話をしようと心に決めている。

3.11を前にして書きたいこと、言いたいことが沢山あったのにうまく言葉に出来ない。言葉として纏まってきたら発言していきたい。そして願わくば音を通じて行動、表現することが出来ればいいと思っている。

3.11を前にして 1

東日本大震災から今年で5年。
僕は東京に来て1年になる。

震災の起こる前に僕は大阪に住んでいて、その時から「近々、上京する」とは周りに宣言していて、震災後にも僕の上京する意思は変わらなかった。大阪の知人に「なぜ、震災が起こった後でさえも東日本へ行こうとするのか」と聞かれたことがある。

その時点では僕の中で明確な言葉にはなっていなかったから、曖昧な返答で茶を濁したのだけど、今ならこう言える気がする。「だからこそ東日本へ来たのだ」と。

僕が徳島に住んでいた頃に、阪神大震災が起きた。幼かった僕は「今は非力で何も出来ないけれど、大人になったら困っている人のために尽力しよう」と誓った。時が経ち、東日本大震災が起きた。僕は大阪に住んでいた。大人になっていた。けど、何も出来なかった。

それは、当時の僕の仕事やバンドの都合もあったし、「緊急時には素人は下手に動かずプロに任せないと逆に迷惑になる」という風説に従ったからでもある。

今になって思えば、僕はその時、"本当に動けなかったのか"。自分を安全な場所へ置くような保身の理論を身の周りに固めていただけではないのか。

現地へ直接行くことだけが支援ではない。しかし「知ることが大事」だという言葉の上にあぐらをかくだけでもいけない。ミュージシャンを集めてイベントを起こして、全ての出演者のギャランティを0にする代わりに収益を全て義援金として寄付する、という動きをしていた人もいた。

僕はそのイベントに出演したから、ある意味では、支援の一部に加担したと言えなくも無い。だけど、もっと自発的に自分の手や意思でもって"何か"をやらなければならないのではないか。そんな想いがここ数年、特にこの一年で強くなってきた。

〜つづきます〜

バズリズムの収録に行ってきました。

つい先日、日テレの「バズリズム」に「溺れたエビの検死報告書」で出演してきました◎

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詳しくは書けませんけれども、収録面白かったです。テレビが面白くなくなったという言葉を耳にすることもありますが、まだまだ全然、大丈夫。スタジオでのバカリズムさんの当意即妙な受け応えと他のゲストミュージシャンの話とか超面白かった。僕自身、この1年くらいでテレビをちゃんと見るようになったのですが、素晴らしいエンターテイメントメディアだと思います。

バンドメンバーにも久しぶりに会えて嬉しかったです。遠く離れているのに参加させてもらえるなんて感謝感謝です。別れ際に「いつ大阪帰ってくるの?」なんて言われましたが、冗談でもそんなこと言ってくれると嬉しいですねー。
近々行きたいな、大阪。

頻繁にバンドメンバーに会いたいので皆さん、バンドを東京にもっと呼んでください(笑)
なんて言ってみたり。

そしてもっとテレビに出たい。
数多くの人にバンドを知ってもらいたい。

ライブほんっとに楽しいよ。

次回のライブは3月21日に大阪・味園ユニバースです。詳しくはHP(http://d-shrimp.com/)を見てください。
※この日は僕は出演しません。

『バズリズム』の放送日は25日0時半です!(各地方によって少しずつ放送日は異なるらしいです)
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見てね!!!

神楽坂上にて。

亀井堂のクリームパンは午前中に売り切れ。しかし他のパンも美味。小路苑で花を買いたかったのだけど閉まっていたため、龍朋にて炒飯と東京ラーメン。
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良い階段と出会った。
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全力で走り抜けて息を切らしたくなる。誰にも需要のない全力坂

新潮社の倉庫後がテナントになっているので覗き見する。lakaguというキュレーションストアだそうで。家具や食器や服。しかし、やはり本を多く見てしまう。その後、かもめブックスへ。

戦後最も発行部数が多い書物は夏目漱石の「こころ」だけど、その「こころ」が編集者に渡された一番初めの脱稿分が書籍化され、かもめブックスにて販売されていた。つまり、旧漢字や文字使いは勿論のこと、誤字や脱字も含めて元々書かれていたまま本になっているということ。
こういったものを漱石が出版してほしかったのかどうかは分からないけど、いち資料、いち読み物として、読みたくて読みたくて非常に興奮する。読みたくて読みたくて震える、ってやつだ。(この前、初めて原曲を聞いた) 

石田千さん著「唄めぐり」
坂口恭平さんが家族について書いている本など、読みたい本が溢れていたが、ぐっと堪える。中身が何だか分からないようにしてある覆面本を1冊のみ購入。折角、堪えに堪えていたというのに、そんなことされちゃあ、さすがに食指が動くというもの。中身は………秘密。

カモメブックスにしても、lakaguにしても、ただ雑然と本を並べているのではなくて、店員さんの表したいこと、こだわりや膨大な知識が垣間見えるような棚作りになっている。

例えば、猫に関する本で10冊選著するとなると、それこそ「我輩は猫である」を始め、古今東西ありとあらゆる猫に関する本がある訳なのだから、そこは選者のセンスにかかってくる。

神楽坂上の書店には本に対する熱意と愛情を強く感じた。