アンジェリカの微笑み
東京での上映が終了していたので、千葉県の千葉劇場まで足を運びました。
「アンジェリカの微笑み」。
なんというか、20年代の映画を今の技術で撮ったような印象を受けました。土地土地に伝わる物語を題材にした、というんじゃなくて、口承伝承が映像として立ち上ったような作品で、音楽はショパンのピアノ曲と農夫の歌う地唄のみ。台詞は少なく、長回しのワンカットがとても多い。画を繋げるのではなくイメージが配置されていくモンタージュ。
この映画を言葉で要約するとなると、非常に"詩的な映画"だということになるのでしょうか。人によっては神話のイメージを重ねる人もいるのかもしれません。
後、映画を観ながら自身に対して発見したことがあります。それは、一言で説明しきれない映像に接した時に、頭の中で必死に理由付けや整合性を保つ作業を行おうとしていた、ということ。奔出された上記の文章なんてその結果で、いわんや排泄物みたいなものです。
この映画に対して、更に言葉を重ねることを許してもらえるならば、映像作家が現代美術の展覧会で流す映像作品のような印象も受けました。芸術作品を言葉でもって評して云々するのなんて愚の骨頂だと感じながらも、ひとりでに動く我が指先は如何にしたものでしょうか。
「言葉で言い表せないものを言葉を使って表現しようとするのが文学だ」という言葉があります。だとすれば映像と文章とは、互いに相容れないものなのかもしれません。そのパラドキシカルな行間で身悶えつつ映画を見終えました。
エンディングは声だけのフォルクローレ。
マクロとミクロ
新宿駅に鈴なりに連なる路上生活者と、あたかも彼等を守るがごとく、一定の間隔を置いて座り込む易者達。赤髪の少女が何かを聞いている。黒髪の女性はその前で我関せずと、自ら編んだ詩集を手に持ち、佇んでいる。アフリカの、どこかの国から来たのか分からない人達がプラカードを手に、拙い日本語で募金を訴えている。
去年のことだが、夜中に都庁に赴いたら「身分証を提示せよ」と警備員。その当時の僕は自らを証明するものを何も持っていなかった。
あれだけ人がいるにも関わらず、駅から家に着くまで、誰とも何にも話をしなかった。当たり前のことではあるのだけど、なんとなく、砂漠に砂を投げるような、空虚で茫漠たる気持ちになったのも事実だ。
エビ個人練習など。
昨日のこと。
一人でスタジオに入ってエビの音源を確認しながら動きの練習。
4ヶ月ぶりくらいですかね。たぶん。
5分くらいで息切れして「こんなのを衣装とマスク着けて1時間近くもよくやれてたな」と驚きました。休憩がてらヒップホップやロボットダンスの動画、後、ドアラ君の動きなど見つつ、すげーと一人で感嘆。
ブックオフへ行って狭い店なのに2時間くらい、ぐるぐるぐる。
カズオイシグロ『わたしを離さないで』、太宰治『グッドバイ』『キリギリス』、村上春樹『国境の南、太陽の西』、小川未明さんが文で酒井駒子が絵の『赤い蝋燭と人魚』、石ノ森章太郎さんが絵の、密教が日本に伝わった頃を書いた歴史漫画、プーシキン『オネーギン』購入。
安部公房『獣たちは故郷を目指す』の古本の装丁が格好良かったのだけど、悔しくも買わずに。
帰ってきて、ご飯を炊いて、豚汁としょうが焼き作って、あらばしり。そんな日でした。
頑張れ!こどもたち!
1月7日。
第一生命保険は「大人になったらなりたいもの」の調査結果を発表した。男子の1位は6年連続で「サッカー選手」(13.8%)。ワールドカップ(W杯)予選やフットサルの普及が人気を更に後押ししたとみられ、2位の「野球選手」(8.5%)との差を広げた。女子はパティシエやケーキ店の人気が根強く、19年連続で「食べ物屋さん」(15.8%)が1位だった。
これ一月以上前に保存してたのですが、この時代においても、男の子はスポーツ選手、女の子は食べ物屋さんが一位という結果に驚きました。
小学生くらいの子が職業選択で求める条件って、給与や福利厚生やその他さまざまな事情を鑑みてなどはいなくて、ただただ「格好良いもの、素敵なもの」なんだなあということが、なんだか嬉しいですね。
知り合いの息子さんがこの前、中学受験に合格したみたいです。勉強したくないのに我慢してよく頑張った、とは僕は全く思いません。勉強したくないならしなけりゃいいんですから。ほんとに。でも勉強してないと後々、不便なことが多くなるよ、とは教えておいてあげたい。その子は自分で進んでやってたってんだから見上げたもんです。
まあとにかく、
「スポーツ選手なんてなるもんじゃないよ」「パティシエは思ったほど素敵なもんじゃないよ」そういった言葉を言う権利があるのは、あくまで、スポーツ選手やパティシエだけなのだから、実際に働いてみたら夢見たような世界とは違うことは多いかもしれないけど、門外漢の言葉には惑わされず、自分のやりたいことを己の責任でもって、夢中に突き詰めていってほしいなあ。と胸が熱くなりました。頑張れこどもたち!
僕も「自分がやらなきゃ誰がやる!」くらいよ気持ちを持って頑張っていきたいもんです。
まずは目の前のドーナツを平らげてから、歩いていこうと思います。
甘露煮とあらばしり。
【朝ごはん兼、昼ごはん】
豚肉とセロリとぶなしめじと、それにカツオの酒盗と焦がしねぎを合わせたパスタ。パスタじゃなくて焼そばで作ったらより美味しいかな、と思ったけど、パスタはパスタで最高に美味しかった。昨日の残りの、サーモンとタコの香草マヨネーズ和えにポテトサラダ。
徳島産の姫イチゴとリンゴとバナナを牛乳とシェイクしたスムージー。
レバーとハツの甘露煮
オクラ納豆
煎りおから
三つ葉と豆腐のすまし汁
ハツの甘露煮が大成功。金沢のあらばしりと共に口へ運ぶ。
芳醇な米の薫りが口の中に拡がった後に、凛とした辛みがキリッと立ち上ってくる。そこへハツのコリコリした食感と微かな苦味が混じり合い、生姜の味わいが全体をまとめてくれる。合うこと限りなし。鯨飲必至の危険な組み合わせ。ああ、旨い旨い。
太宰治が酒について書いている文章に対して、森見登美彦氏が「太宰治は美味しそうに酒を書かない。あくまで彼がおいしそうに書くのは文章についてだけである」というようなことを仰っていて、確かにそうだなと腑に落ちた。太宰が生きていた時代は、酒を味合うのではなく己を滅ぼすかのごとき飲み方が流行ってきたということで、自身の飲み方に時代が合わさってきている、と、世を嘆いてみせる。
僕はそれを読んで、僕の飲み方とまるで一緒じゃないかと苦笑したのだけど、甘露煮とあらばしりについて書いた一文、「今すぐ一杯引っかけたいな」と思って貰えただろうか。
思ってもらえてももらえなくてもどっちでも構わないのだけど。
母乳酒
母乳酒というバンドのサポートで「東京味わいフェスタ」というのに出演していました。
3日間行われたフードフェスで、"東京の食べ物を広めよう!"みたいなコンセプトだったのですが、外国の出店が多かったように思います。パエリアありワンタン麺ありクリームニョッキありホットワインありetc……。
だけど、その日本中・世界中のものが雑多に集まってる感じがむしろ東京らしいな、と思いました。
母乳酒(馬乳酒の打ち間違いではありません)のライブは本当に楽しかったし、良ければまたやりたいです。
しかし、年上の方と一緒にやると色々勉強になるし自分の知らない世界を沢山知れて楽しいです。
後、もうひとつ思ったことは、僕はどうしてこうも個性的な名前のバンドに誘われるのだろうか、ってこと(笑)
人間失格
太宰治の人間失格を読みました。
大学の時に既読だと思ってたのですけど、読み返してみるとどうやら最初の方だけしか読んでなかったみたいです。もしくは完全に失念しているか。でも忘れてることはないと思います。
なぜならば、凄く良かったから。
良かった、ってライブ見終わった後とかだと気持ちの籠った誉め言葉ですけど、読書後に言うと、とても軽い感じするな…(笑)
己の趣味嗜好が数年間で激変するとは思えないので、この作品を読んで忘れてるってことはまずないと思います。
でも太宰治って嫌いな人多いですよね。
村上春樹もそうだけど、好き嫌いの分かれる作家ですね。
その分、色濃い作品が幅広く認知されている、ということでしょう。
この前、誰かと話して思いました。
顔色伺ってると好かれないし、誰の記憶にも残らない、と。
それは言動でも表現でもそうで。
顔色伺うというか置きに行くというか、60点のものをとにかく提出しておこう、みたいな姿勢。
振り切った表現してる作家やアーティストは、フォロワーもアンチも多いですね。嫌われても、記憶には残る。それって、表現者としては目指したいところなんじゃないでしょうか。"一か八か"ならぬ"零か百か"精神でこれからはやっていこうと思います。