まけまけいっぱいの愛を

力の限りに、“無意味・無作為に一生懸命な様子”を書き綴っていきます。 好きな言葉は、「どんぶり勘定、くんずほぐれつ、十把ひとからげ」です。

石榴坂を下って左。

華道の先生に花の活け方を教わる夢を見ました。岩絵の具で着色されたような深い藍色をした富山産の器、10平方センチメートルに深さは3センチメートルばかりの器に、赤や青の花と葉を使って宇宙を作っていきます。

「一輪挿しに使うような細長い花器にギュウギュウと大量の花を挿すのが好きなんです」と僕が言ったら先生は「それでいいんです」と言ってました。本当かなあ?

ライブ当日、片道2時間はかかる会場。
14時には出て、16時台のリハに間に合わせねばならないのにもかかわらず、小料理屋へ行き、色んな料理と日本酒を振る舞われました。何か近所の子供を祝っていたか何かでとにかく料理が出てくるのが遅い。店主に怒鳴るという現実なら絶対にやらないことをし、慌てて店を出るも、19時半の本番には間に合うか否か。

生家を訪ねたらボロボロに薙ぎ倒された庭、畑の向こうの近所を見やり、空間が転じる。
鉄筋コンクリートに全面ガラス張りの3階建てのモダンな建築に早変わりするも、カーテンが無いためご近所の生活が丸見え。家と家の間は鋭角に切り取られた道路に。

昔僕は父親のやってたバンドのトラとしておじさんたちに紛れてバンドをやってた時期があるのだけど、そこのおじさんに「ザ・ベンチャーズが曲終わりにお辞儀することで礼節を学びました」などとという冗談を言う。

など。

支離滅裂ながらでもストーリーがあったり何かしらのメッセージ性を帯びているもの、イメージが続々と転じていくようなものもあり、夢の棲み分けってのは一体どうなってるんだろう。