まけまけいっぱいの愛を

力の限りに、“無意味・無作為に一生懸命な様子”を書き綴っていきます。 好きな言葉は、「どんぶり勘定、くんずほぐれつ、十把ひとからげ」です。

東京夜話。

昨日、リハ終わってからメンバーとご飯食べに行って沢山話をしました。

自分の至らなさ、知識の無さに直面するとともに、それでも、少しずつ自分は成長してるんだろうなあとも思いました。音楽だとか表現ってものを深めるためには、稽古、練習、研究を積み重ねばならないのはまずは必要なんだけれども、だけど、それとともに、ひとつひとつの細やか些事に対して、一所懸命に「生きる」ことが己の幅を拡げるのだなあと思ったのです。どちらも無くちゃいけない。

僕たちは音楽に生かされてるし、自分が受けた途方もない、名付けようの無い波動を、別の誰かにも伝えたいと思い続けています。

なんだけれども、純粋に音楽そのもののためだけにやってる訳ではなくて、音楽を通じて知り合えた人達、会話、エネルギーに接した時に、「ああ、やってて良かったなあ」と思うんです。

後は、今の時代に東京という場所で活動をしていくということの話もしました。結局のところ、音楽活動を続ける続けないというのは自分で判断するものではなく、自然の流れに沿って、あるべき場所へ行き着くものなんだろうなあというようなこと。ただやっぱり、あらゆる方面で刺激や機会を与えられる場所でもあります。
それは関ヶ原を制した徳川家康大政奉還を実施してから400年あまり続いてきた風潮なんでしょうけど。(文楽とかは未だに西で修業するのかもしれませんが)

僕は死ぬまで自分の感受性というか魂を揺さぶり続けていきたい。そこに向かうのが例え音楽ではなくて、文学であったり華道であったり、言うなれば甥や姪や子供や孫に接すること(いわんや、生命の根源に触れること、なんて言うと大それすぎているのでしょうか(笑)であったとしても、僕は邁進していきたいな、と思っているわけです。

なんだか回りくどくて理屈っぽいなあ(笑)

まあとにかく、僕は今サポートで関わってる方の創る音楽が好きだし、より良くしたいし沢山の人に伝えたいんです。どうか今回限りのサポートで終わらないように(笑)!
ギャラとかは問題じゃない。ていうか金銭を第一義にして活動してるミュージシャンなんているのかな。そんなヤツの出すものなんて一音も聴きたくないよな。

そんな感じです。

もやしっこが、ほざいた。

しばらく前に作ったものですけど。
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ピクルスポテトサラダ
ササミとゴボウとニンジンの甘辛揚げ
鴨肉のロースト
トマトとセロリのスープ

鴨肉めちゃ美味しいのですけど、やっぱり、うみどり食堂で食べた代物には敵わないですね。向こうはプロだから当たり前だけども。

ご飯作るのは楽しいし好きなんだけど、仕事に出来る人達はホントに凄い。なんたっても自分の料理を客観的に味わって「店で出されてどうか」って考えるとほとんど落第だもの。

ササミとゴボウとニンジンの甘辛揚げは、前に作った時は『お店出せるんじゃない?ライン』を越えられた出来栄えだったのですが、今回はイマイチでした。小麦粉と片栗粉の分量なのか、野菜の鮮度か。
ゴボウの灰汁抜きし忘れたのもかなり大きな味の違いを出してる気がする。

うーん、料理って難しい。

だからこそ、毎回、K点越えをしてくるプロの人達はホントに凄いし、真似できない。

今年中に必ず『うみどり食堂』行こうっと。美味しいワインも飲みたいし。もし、このブログで初めて名前を見た人がいれば、是非行ってほしいなあ。大阪の寺田町駅が最寄りです。

ところで、ゴボウの漢字って牛蒡ですよね。
牛の尻尾に似てるからとかそんな感じらしいですけど、由来はともかく、良い漢字ですよね。良い感じの漢字ですよね。



…………………………




……………



もっかい言いますけど、良い感じの漢字ですよね。


あの。"感じ"と"漢字"をかけ

一粒食べれば元気いっぱい。

この前聞いた、楽しい話を。

 

僕はピスタチオが好き。豆類全般的に好きだけど、ピスタチオは一時期はまってよく、ウイスキーの肴にしてポリポリやりながら映画を見ていた。これでコタツに入ってうとうとしている時なんかもう、至福という言葉しか出てこないくらいだ。終わりなき魔の四角形。「無防備都市」を見ながらこれをやって、内容が一切入ってこなかったことがある。それ以来、ウイスキー、ピスタチオ、炬燵、映画。この4点の併用を避けるようにしている。自らに禁令を課すほど好きなんである。

 

そんな僕よりもピスタチオが好きな人とこの前喋った。

その人は、一時期はピスタチオしか食べていなかったそうなのである。殻を剥き、ポケットに常備させ、折あればポリポリと…。

理由が凄い。

 

なんでもピスタチオにはあらゆる栄養素がふんだんに詰まっており、少量でもピスタチオさえ食べておけば問題なく生きていける、とその人は信じていた。


僕は聞いた。



「それで、どうなったんですか?」

 









「倒れました」





僕は聞きました。


「ピスタチオをドラゴンボールに出てくる千豆のようなものだと思ってませんか?」



「そうですー!!!千豆っ!!!!!」



「千豆食べてどうなったんですか?」













「倒れました」







久しぶりにピスタチオを食べながらウイスキーを飲みたい。

いちねんまえのきょう。

2015年2月
リハを終えて0時半くらいだったでしょうか。

大阪、寺田町のローソンには僕の大好きな『白濁り』を売っていたので、買いに出掛けました。大きな作りの寿司屋がある交差点で、標準語のオニイサンが「すいません!東大阪ってどっちですか?!」とサラリーマンに問うていました。大阪の方は分かると思うのですが、寺田町から東大阪ってかなりの距離です。夜中です。歩きです。

オニイサン、目的地へ辿り着けたのかなあ。途中で、タクシーに乗らなかったことを後悔してやしなかっただろうか。

まあそんな訳で白濁りを買ったのですが、夏目漱石の千円札を持ってたのでそれで支払いました。
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若い店員がレジ対応してくれたのですが、僕と千円をためつすがめつ見比べながら業務を進めていました。野口英世の千円札しか見たことがないんでしょうね。

夏目漱石が二畳の部屋に友人と2人で暮らしてたことがある、というのを最近読みました。教養を深めるのは1畳あれば充分ということでしょうか。

大学時代にメゾネットタイプの綺麗な一戸建てを友人とハウスシェアしていた僕はなんと贅沢な生活をしていたのだろうと思いますが、富田林の一戸建てを払う一人分の家賃と、都内の、風呂なし木造四畳半アパートの家賃がさして変わらないというのですから、地価って一体どういう指標で定められるものなんでしょうか。

思い出横丁いとおかし。

今年から月に一回、徳島時代の友人と勉強会(という名の飲み会)を開いています。

勉強会というと堅苦しいけど、要するに共通のテキストとなる一冊、もしくは映画を決めて、読んだり見たりした後に感想を言い合うという会です。

第一回はソポクレス『オイディプス王』で、第二回は『伊勢物語』でした。

それぞれの近況報告も兼ねて行われるので、テーマに話が始終する訳ではないのですが、リアルタイムの現況と古典を重ね合わせて話をする悦びも、そこには確かにあるわけです。

第一回目は僕が徳島を出てからずっと大阪にいたのに引き換えて、二人は上京してからずっと東京に住んでいるということと、僕が正月に帰省した後すぐだったということもあったので、一回目は思い出話に花を咲かせることが多かったのですが、今回は割と本筋に沿った話が出来ました。

何かを読み解く時に古典をテキストとする場合は多いですが、古典そのものを読んで感想を言うというのは中々難しいものがありますね。知識の無さがボロボロ出てきます(笑) 
でもいいんです、勉強会だから。

一人で咀嚼して染み渡るような読書体験もいいですが、本や物語についてあれこれ言い合うのってほんっとに楽しいです。

思い出横丁で飲んだのですけど、都市のど真中なのに下町情緒があって良い。黒い釜のなかに煮込まれる串、並ぶビール瓶、狭い店内をすみません、と言いながら身を細くして奥へ歩いていくのも良い。「あんたたち何か悩んでんの?若い男が雁首揃えて難しそうな顔して。恋の悩み?恋の悩みなら聞くよ?」店員さんがタメ口なのがまた良い。

恋の話には違いないのだろうけど、僕たちの話ではないし、実体のある誰かの話ではなくって、何百年も前の不詳のモテ男(恐らくは在原業平)の話だっていうんだから、いとわろし。

業平がヤンチャしなければ今ここにいる誰かは生まれてないのかもしれないのだよな、と落とし処をつけつつ店を出ました。

たった少しのことで。

鯖の竜田揚げ、筑前煮、おからの炊いたん、菜の花の柚子酢味噌、鶏五目ご飯。

煮物は一日置かないときちんと味が染み込みませんね。圧力鍋だと綺麗に仕上がるのでしょうか。竜田揚げも下処理しておかないと生の魚の臭いがほんの少しだけ残ってしまいます。お湯を掛けると余計な臭いも取れ、身もふっくらすると聞きました。

次は、その点、修正した上で挑みたいです。
おからと菜の花は抜群の出来でした。ほんの少しのことで全然味が変わりますね。ワインも一日置いて飲んだらとても美味しく変化してました。なぜまろやかになるんだろう。

ほんの少しのことで劇的に味が変わるから料理って面白い。演奏でもそうですから。
微妙な差異を巧みに操って上手に演奏できる人ってホントに尊敬します。僕なんていつまでたっても上手くならないもの(笑)!!

笑いどころちゃうわ!!

元々ホルン奏者で、一度はワインソムリエを目指したものの、最近はアレクサンダーメソッド講師とホルン奏者の2足のワラジを履いてらっしゃる方と懇意になったので、今度そこらへんを彼と話してみようかな。

何かに煮詰まってる時は、日が経てば美味しく味が染み込むだろうということにして、これからはやり過ごそうと思います。

にしても、肩書きとか、属してるところとかより、今まで何やって来て今何してるか、って話の方が面白いよなあ。世の中って本人じゃなくて肩書きと喋っている人が本当に多い。どうにかならんもんかな。




石榴坂を下って左。

華道の先生に花の活け方を教わる夢を見ました。岩絵の具で着色されたような深い藍色をした富山産の器、10平方センチメートルに深さは3センチメートルばかりの器に、赤や青の花と葉を使って宇宙を作っていきます。

「一輪挿しに使うような細長い花器にギュウギュウと大量の花を挿すのが好きなんです」と僕が言ったら先生は「それでいいんです」と言ってました。本当かなあ?

ライブ当日、片道2時間はかかる会場。
14時には出て、16時台のリハに間に合わせねばならないのにもかかわらず、小料理屋へ行き、色んな料理と日本酒を振る舞われました。何か近所の子供を祝っていたか何かでとにかく料理が出てくるのが遅い。店主に怒鳴るという現実なら絶対にやらないことをし、慌てて店を出るも、19時半の本番には間に合うか否か。

生家を訪ねたらボロボロに薙ぎ倒された庭、畑の向こうの近所を見やり、空間が転じる。
鉄筋コンクリートに全面ガラス張りの3階建てのモダンな建築に早変わりするも、カーテンが無いためご近所の生活が丸見え。家と家の間は鋭角に切り取られた道路に。

昔僕は父親のやってたバンドのトラとしておじさんたちに紛れてバンドをやってた時期があるのだけど、そこのおじさんに「ザ・ベンチャーズが曲終わりにお辞儀することで礼節を学びました」などとという冗談を言う。

など。

支離滅裂ながらでもストーリーがあったり何かしらのメッセージ性を帯びているもの、イメージが続々と転じていくようなものもあり、夢の棲み分けってのは一体どうなってるんだろう。